重要文化財 中村家住宅

最終更新日:2015年11月16日 ページ番号:02138

重要文化財 中村家住宅

概 要

主屋外観
(中村家住宅・主屋外観)

 

 主屋:一部2階建て、切妻造り、桟瓦葺き、平入り、明治20年(1887)建築。

 離れ:3階建て、切妻造り、桟瓦葺き、大正2年(1913)増築。

 土蔵:海側に5棟と山側に2棟の計7棟。

    3棟(新蔵、背戸蔵、西蔵)は2階建て、妻入、桟瓦葺き、蔵前付き。

    4棟(バンゲ蔵、前蔵、米蔵、塩物蔵・浜蔵)は2階建て、平入、桟瓦葺き、蔵前付き。

 正門:1間1戸薬医門、切妻造り、桟瓦葺き、反り屋根。

 中門:1間1戸腕木門、切妻造り、桟瓦葺き。

 塀:屋根塀、総長20.26m、桟瓦葺き。主屋の北、南に取り付く。

 中村家は南越前町河野のほぼ中央に位置する金相寺の北隣に位置しています。背後に山地が迫った狭小な地形を南北に通る村道に沿って、山側は高さ60mほどの石積み基壇上に間口44mの平地を構築し、海に向かって2階建ての主屋と望楼を持つ3階建ての離れを建てています。海側には土蔵を連ね、格式高い正門が海に向かって開いています。

 中村家は、平成21年から23年度にかけて行われた福井県近代和風建築総合調査とその後の補足調査の成果に基づき、充実した質と規模を有する主屋、趣向を凝らした繊細な意匠の3階建て離れなど近代的な形式や造形が取り入れられた和風建築としての高い価値が評価され、平成27年7月8日に国の重要文化財に指定されました。

  

中村家の歴史

 中村家は、室町時代に河野の地に移り住んだと伝えられ、『河野村誌』には「中村家は伊予国守護河野通治の流れを汲み、南北朝戦に際し通治の一族は南朝方新田義貞の傘下となって、金ケ崎合戦に参加し、その後ここに土着、故あって中村と改名して今日に至るとか伝えられる」と記されており、地主として農業を営む一方、江戸時代初期から起こる北国廻船業に早くから乗り出しました。寛政年間には船持ちとして400石積の弁才船3艘を所有し、幕末から明治中期にかけて激増する北前船主の中で隆盛を得て、同じ河野の北前船主である右近家と並んで日本海五大船主に挙げられる有力商人になりました。中村家は代々「中村三郎右衛門」を名乗り、明治2年(1869)より当主の実名「中村三之丞」に改名して今日に至っています。

 

住宅の概要

 中村家の敷地は、南北に通る旧村道で東側(山側)と西側(海側)にわかれています。

 山側には北から新蔵、主屋、新座敷、背戸蔵が建ち、道を挟んだ反対側の海側には、西蔵、バンゲ蔵、正門、前蔵、米蔵が立ち並んでいて、正門以外の土蔵群は山側を正面にしています。さらに海側に塩物蔵・浜蔵を配置しています。

 主 屋

 入り口から左手に座敷廻りを取り、右手に板の間を配する構成で、石積みの基壇上に正面の玄関式台と大戸口が並ぶ格式の高い構えをつくっています。大戸口から入ったところに土間ニワがあり、その上り縁の先はダイドコロです。ダイドコロは板張りで、中央部に太い6本の柱を立ち上げ、梁組をあらわにして吹き抜けの高大な火袋を作っています。その他、囲炉裏や井戸、薪棚等が設けられています。

 ダイドコロの上手には式台に続く座敷8室を配しており、床を1段高くして上座とし、本座敷・次の間・中の間・隠居間・仏間・オイエ、北側に休憩の間とオイエ東側にナンドを設けた間取りになっています。本座敷西側の縁側越しには、潮風にも強く、地元では「家のもちが良いように」との意味で植えられたと伝わる黐の木を主木とした庭を設けています。新蔵はこの庭の先にあります。

 ダイドコロ下手の奥にはミズヤがあり、その先は増築された離れの新座敷へと続きます。さらに奥には背戸蔵があります。

 主屋の2階部分は、東2階の座敷6畳・次の間6畳・使用人部屋、表2階の座敷8畳・座敷6畳・座敷7畳、裏2階の座敷4畳半からなっています。主屋2階の諸部屋はダイドコロ上部の大きな火袋を中心に分割配置されているため、2階に上がるにはダイドコロ四方に設けられた階段をそれぞれ上がる必要があります。

ニワ
(ニワ)
ダイドコロ
(ダイドコロ)
中の間・次の間・本座敷
(中の間・次の間・本座敷)
本座敷
(本座敷)
前庭・西側縁側
(前庭・西側縁側)

 

 離 れ

 離れである新座敷は、1階と2階に客間座敷、3階の海が見える表側に望楼が配置されています。客間座敷は1階2階ともに主座敷8畳・次の間8畳。2階座敷、望楼へ行くには1階座敷の手前から洋風階段を上がります。この洋風階段は擬宝珠をあしらった総欅で見事な造りをしています。

 3階の望楼は6畳。床など随所に軽快で洒落た意匠が見られ、近代期の気風に満ちた開放的な雰囲気が醸し出されています。また、三方に設えられたガラス障子引き違いの肘掛窓からは日本海が一望できます。

洋風階段
(洋風階段)
2階客座敷
(2階・客間座敷)
3階望楼
(3階・望楼)

 

 土 蔵

 新蔵、背戸蔵、西蔵、バンゲ蔵、前蔵、米蔵、塩物蔵・浜蔵の計7棟あり、新蔵、背戸蔵が山側、西蔵、バンゲ蔵、前蔵、米蔵、塩物蔵・浜蔵が海側に配置されています。

土蔵群
(土蔵群遠景)
前蔵・米蔵
(前蔵・米蔵)
塩物蔵・浜蔵
(塩物蔵・浜蔵)
 

 正 門

 正門は、旧村道を跨いで主屋の式台に通じる切妻造の薬医門です。門扉は両開きの欅の鏡板戸で、本柱の背面には控柱を立てて上下2段の貫でつないでおり、床には近代の洋風建築を象徴する赤レンガが張られています。この正門は本来貴賓を迎えるために設けられたものであるため、現在も門扉は閉ざされたままで日常的には使用していません。

正門
(正門)

 

住宅の変遷

 中村家の所蔵する文書から、住宅の変遷が徐々に明らかになりつつあります。中村家は元は幕府から藩の視察に来た使者を宿泊させた上使宿で、こういった家の場合は農民の身分であっても利用者の身分格から門塀をめぐらせてその奥に主屋を建てるという武士のような屋敷構えが許されていました。

 現在の主屋は明治20年(1887)の建築で、背戸蔵が同じ年に造られたことがわかっています。また、新蔵が明治24年(1891)、離れの新座敷は大正2年(1913)の建築であることが文書からわかっています。それ以外の蔵や正門の建築年代は、はっきりと特定する史料が見つかっていないため不明ですが、明治43年(1910)に撮影された古写真から現存する建物群が確認できるため、それまでには完成していたことがわかります。

 

中村家文書について

 建物の調査を進めていく中で、主屋および各土蔵内から約4万点の古文書などの史料が新たに見つかりました。これらの史料は、福井県立歴史博物館の協力のもと、同館にて燻蒸処理を施し、整理・保管を行っています。また、建物の建築年代を検証するための重要な史料となっており、平成25年11月には「中村家文書調査委員会」(事務局:福井県立歴史博物館)が設置されました。

 

〈参考文献:中村家住宅調査報告書〉

場所情報

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お問い合わせ先

教育委員会事務局

電話番号:0778-47-8005 ファックス:0778-47-7010

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